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2020-01-09 (Thu)  14:47

ミステリ愛がちりばめられた『カササギ殺人事件』

まず、ネタバレを少し含むあらすじ。
作中作をまるまる1作含むという、長編構成。
なので、私(記憶力や理解力が限られている人間)だったらこのぐらいのあらすじを知っておいてから読んだほうがすらすら読めるであろうという内容を書いておく。

スーザン・ライランドは出版社、《クローヴァーリーフ・ブックス》の文芸部門の責任者である編集者。人気ミステリ作家、アラン・コンウェイを担当している。
そのアラン・コンウェイの最新作、『カササギ殺人事件』の原稿をワイン、つまみ、タバコとともに寝室に持ち込んで読んだ。
しかし、その原稿には結末部分がなかった。そして、《クローヴァーリーフ・ブックス》の最高経営責任者、チャールズ・クローヴァーにアラン・コンウェイは事故で亡くなったと知らされる。さらに遺書とおぼしき手紙も送られてきたとも。
スーザンは『カササギ殺人事件』の結末部分を見つけるためにアランの住まいに赴き、さらにアランの恋人、姉、隣人など関係者に話を聞く。
スーザンはアランの姉の言葉を信じ、アランの死は自殺ではない、殺人によるものだと考えるようになる。しかし、アランは気むずかしい人物でさまざまな人間と軋轢を生じており、『カササギ殺人事件』同様、アランの周りにはアランの死を願うであろう、動機を持つ人物だらけであった。

 
Amazonの『カササギ殺人事件 (全2巻)』のページ

本文には、ミステリ愛好家の知識を試す、あるいはミステリ史を概観するような、また読書案内のような内容がふんだんに盛り込まれている。
これが本作最大の特徴であり、読んでいて楽しかった点。

上巻はスーザンによる作中作の『カササギ殺人事件』の紹介、5ページで始まり。そのあとは、普通の洋書の体裁で、作中作の『カササギ殺人事件』が続く。作者、アラン・コンウェイの紹介文、アランのシリーズ作である《アティカス・ピュント》シリーズ既刊一覧。次に「気をつけろ、エルキュール・ポワロよ!頭の切れる小柄な外国人がやってきた-そして、きみのお株を奪おうとしている」などの「本シリーズに寄せられた絶賛の声」を経て、作中作の本文に入る。残りはすべて作中作。
舞台は1955年のイギリスの小さな架空の町(バースから近い)。アガサ・クリスティの世界。これは、あれのオマージュだろうというのがそこここに出てくる。ミステリ ファンとしての読書歴、記憶を試されるように。
思いせなくても、知らなくても大丈夫。下巻でちょくちょく答え合わせが出てくる。
たとえば、137ページ。

マシューの言うとおりだ。『カササギ殺人事件』にも、アガサ・クリスティへのひそかなオマージュが、少なくとも五、六ヵ所はちりばめられている。たとえば、サー・マグナス・パイとその妻がサン=ジャン=カップ=フェラで泊まっていたのは、《オテル・ジェヌヴィエーヴ》だけれど、『ゴルフ場殺人事件』にはこれと同じ名のホテルが登場する。


このあと、ミス・マープルの住む町の酒場、『エッジウェア卿の死』に登場する米国人女優の名から、『パディントン発4時50分』を意識した冗談、『アクロイド殺害事件』(ちゃんと東京創元社バージョンの題名に訳されている。ハヤカワではなく)の語り手の名、古い童歌を使っているところがスーザンによってまとめて指摘されている。

このマシューというのが、実在の人物であり、アガサ・クリスティの孫、マシュー・プリチャードだ。アランとチャールズが会員制クラブのレストランで会食をした際に隣のテーブルに居合わせた人物として登場している。
全面的に好人物として描かれている。本当にそうなのかもしれないし、この業界で生きる人間としての作者ホロヴィッツの抜け目なさなのかもしれない。


スーザンの住むクラウチ・エンドも実在の町。スティーヴン・キングの短編小説のタイトルにもなっているので、そこもかけてあるのかもしれない。
ハイゲート駅から徒歩15分のところにあるクリフトン・ロードと描写があるので、この辺だ。スーザンが語っているとおりヴィクトリア朝様式の建物が並ぶ一角
自分がロンドンでホームステイをしていた2軒が両方ともヴィクトリア朝様式の建物だったのでヴィクトリア王朝様式だと、いかにもロンドンだと感じ、テンションがあがる。

アランの関係者が住む町はジョージ王朝様式となっており、こちらも実際のバース周辺の典型的な建築様式に基づいている。
バースに行きたくなった。


登場人物は、作中作の『カササギ殺人事件』とスーザンを探偵とする世界(便宜上、”本編”とする)の両方とも、そこそこの数。つまり、記憶力を要する。
登場人物のリストは、上巻の作中作の巻頭近くに作中作の登場人物、下巻巻頭に本編の登場人物が記載されている。
上巻は作中作が大半を占めるので、本編の登場人物リストは必要ないが、下巻はそうはいかない。上巻の登場人物リストを首っ引きで読んだ。


作者、アンソニー・ホロヴィッツは、脚本家でもある。
そもそも私が本作を読むことにしたのは、名探偵ポアロ、刑事フォイルのクレジットにこの名があることに気がつき、この人が小説を書いていれば面白いだろうと思って検索して見つけ出したというのがいきさつ。
テレビ番組や映画のプロデューサーという人物を登場させてその人物にウィットの効いた台詞をしゃべらせているのは、この業界の人間ならでは。

スーザンは、アランの葬儀に出た際に、途中で帰ろうとしていた会葬者の一人、マーク・レドモンドを捕まえ、話をする。

「世間はもう、殺人事件には飽き飽きしているんじゃないでしょうか?」
「ご冗談を。『主任警部モース』『刑事タガート』『ルイス警部』『警部フォイル』『新米刑事モース』『フロスト警部』『刑事ジョン・ルーサー』『リンリー警部 捜査ファイル』『心理探偵フィッツ』『ブロードチャーチ—殺意の町』、さらにはあのいまいましい『メグレ警視』や『刑事ヴァランダー』にいたるまで、このそうそうたる顔ぶれを見てくださいよ。英国のテレビから殺人事件を引いたら、いったい何が残るっていうんです?

ここで英国制作のテレビドラマシリーズ一覧の一丁上がり!
このリストを元にドラマを見るのもいいけど、原作(があれば)を読書って手もある。だって、『新米刑事モース』、『刑事ジョン・ルーサー』、『警部フォイル』、どれもドラマは面白かった。『主任警部モース』も今、毎週録画している。『刑事ヴァランダー』は原作が面白いということをすでに知っている。

また、アランの相続人と著作権契約の同意を得られてシリーズ全作のドラマ化に乗り気なレドモンドに、最新作が完結していないとスーザンが言うと、

「そんなものは、どうにでもなりますよ。『バーナビー警部』なんて原作は七冊しかないのに、そこから百四話も作り出したんだから。(後略)」


七冊の原作から百四話も作り出したのは、脚本家だろう。それは他ならぬアンソニー・ホロヴィッツだ。思わず吹き出す。


自分はミステリばかりを探して読んでいる。それが一番の娯楽である。人が殺される話を読んで楽しんでいる。それって人として健全なのだろうかと、ときに考える。
そんなミステリ愛好家を勇気づけるようなメッセージもある。
スーザンの気持ちの記述。

 わたしはずっとミステリが大好きだった。ただ仕事として編集していただけではない。本を読めるようになってからずっと、何よりも楽しみ、ただただむさぼるように読みつくしてきたのだ。雨の日、部屋を暖めて、ただひたすら本に没頭するあの幸福。読んで、読んで、指の下のページがするすると流れていき、ふと気がつくと、左側のページのほうが右より少なくなっている。もっと速度を落とさなくてはと思うのに、結末がどうなるのか早く知りたくて、ひたすら先を急いでしまうのだ。読者をこうしてぐいぐい引き込んでいくミステリとは、小説という多種多様で豪華な形式の中でも、ひときわ特別な位置にあるのではないだろうか。それは何より探偵役が、ほかのどんな登場人物よりも、ほかに類のない形で読者と結びつくことができる存在だからなのだ。


最初にスーザンの読書のさまが提示されている。これは、ミステリ読者なら誰しも共感するところだ。しかし、ミステリの探偵役が、ほかのどんな登場人物よりも、ほかに類のない形で読者と結びつくことができる存在とはどういうことだろう。

 ミステリとは、真実をめぐる物語である—それ以上ものもでもないし、それ以下のものでもない。確実なことなど何もない世界で、きっちりとすべてのiに点が打たれ、すべてのtに横棒の入っている本の最後のページにたどりつくのは、誰にとっても心の満たされる瞬間ではないだろうか。わたしたちの周囲には、つねに曖昧さ、どちらとも断じきれない危うさにあふれている。真実をはっきりと見きわめようと努力するうち、人生の半分は過ぎていってしまうのだ。ようやくすべてが腑に落ちたと思えるのは、おそらくはもう死の床についているときだろう。そんな満ち足りた喜びを、ほとんどすべてのミステリは読者に与えてくれるのだ。


ああ、そのとおり、「わたしたちの周囲には、つねに曖昧さ、どちらとも断じきれない危うさにあふれている」。しかし、ミステリなら白黒はっきりするところが好きなのだったと思い出す。すべてが腑に落ちる満ち足りた喜びをミステリは与えてくれる。

ミステリ以外はどんな小説であれ、わたしたちは主人公のすぐ後ろを追いかけていく-(中略)いっぽう、探偵とは、私たちは肩を並べて立っている。そもそもの最初から、読者と探偵とは同じ目的を追いかけているのだ-(中略)私たちはただ、本当は何があったのかを知りたいだけであり、(中略)読者は探偵を好きになる必要も、憧れる必要もない。作品を読みつづけるのは、わたしたちがその探偵を信じているからだ。


ほかに類のない形。それはつまり、肩を並べて同じ目的を追いかけることだということが、ここに示されている。本当は何があったかを知りたいという同じ目的のために。そしてミステリ作品を読みつづける理由も示されている。
この堂々たるミステリ論は、話の流れに埋め込まれ、スーザンによって自然に語られる。
スーザンは自分の心のミステリを解き明かし、代弁してくれた。間違いなく、他のほかに類のない形で自分と結びついてくれる探偵役だ。

ちなみに、上記の最後の「中略」とした部分の中に、また、ホームズ、ポアロ、ミス・マープルなどの探偵たちが引用されている。

いやぁ、ミステリって本当にいいもんですね
と作者、ホロヴィッツから語りかけられているような作品だった。
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最終更新日 : 2020-01-09

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